ゆめであえたら。

なんだかんだで、なるようになってる。

兄へ。

兄の事を書きます。


母の事、父の事を書いた時よりも、書こうとおもうだけで心臓がバクバクします。

でも書きます。
私はもう、彼を怖がりたくないから。

私と兄は、親戚の孫の中で、1番の下の兄妹でした。
全部でたくさんいる孫の中の、私が1番下で、兄がその上でした。

母の時の記事にも書きましたが、父方の親戚が徒歩30秒以内に集まっていて、その従兄弟たちの中で、両親が離婚していないのは我が家だけでした。
そして、周りも我が家に負けず劣らずの貧しさでした。

従兄弟たちは末っ子兄妹を少し疎み、特に兄は従兄弟の男の子達から随分嫌な思いをさせられたようです。

うちで、兄の机に座り、兄のランドセルをガンガン踏み潰している光景が記憶に焼き付いています。
兄のランドセルは小2で既にペシャンコでした。

不在の父は威厳のあるセリフを言うのが好きな人だったので、まだ幼い兄に言いました。
『お前が父親の代わりになるんだぞ』と。

母のストレスを感じながら過ごし、自分も従兄弟たちからのストレスを感じ、誰にもどこにも頼れない兄の矛先は私に向きました。

食事の作法の指導が、それはもう軍隊の様に、鬼教官の様に、毎日の食卓で始まりました。私が低学年、兄は2つ上です。

母も初めは穏便に見ていたのですが、私が『もうご飯なんか食べたくない!!!』と泣き叫び、よく覚えてないのですが、その辺りから兄の指導はなくなりました。

その辺りの夏休み、母の実家に遊びに行きました。
母と酒飲みの祖父、少し叔母と従兄弟に会ったりしたけれど、そこにただ居るだけの数日でした。
私は兄と二階でテレビも遊ぶものもなく、何をするでもなく遊んでいたと思います。

兄が布団を敷き始めました。
色々指示を出され、私は訳がわからないまま、言われた通りにしました。

仰向けの私に、兄は覆いかぶさってきました。
こうやって声を出せと指示されました。
理解出来ないまま、言う通りにしました。

兄は腰を降っていました。

服も着ていたし、何もされなかったけど、
セックスごっこをさせられました。
兄は大きい年頃の従兄弟たちに、性的な話を聞かされ、いつもからかわれていたので、そのはけ口が私にきたんだと思います。

その事は思い出す事もなく大きくなり、不倫から抜け出せなくなっていた20歳前後に急に思い出しました。
本当に急に思い出しました。

そこからは自分が余計に薄汚いものに思え、たった一度だけの事だ、実際何もなかった、と自分に言い聞かせ、忘れたつもりになっても、時折頭に浮かんでは、異質な思い出を持ってる自分と兄に、深い嫌悪感を抱きました。


私は小学校の高学年になり、家も不安定で、何より男の子で父親の正体が上手く掴めないのが大きかったと思います。
兄が反抗期に入ると、私に暴力を振るうようになりました。
寝起きなどは壁や床を怒り狂ったように殴りまくっていました。

母が仕事でいない間、少しでも気に触ると正座をさせられ、延々と説教をされました。
物凄い形相で怒鳴られ、それが何回か繰り返され、我慢しきれずに口答えをした時に、暴力が始まりました。

そこからは些細な事での説教、暴力です。
馬乗りになって往復ビンタ、髪の毛を掴まれて頭を壁に打ち付けられる、胸ぐらを掴まれて壁に叩きつけられる、言葉を発しただけで裏拳が飛んできました。

ひどい時は母がいる時もありました。
母に聞こえていたかどうかはわかりませんが、助けて欲しいと扉の開いている隣の部屋を見ると、背中を向けて、気がつかずに電話をしている母の姿が忘れられません。

2、3年続いたでしょうか。中1くらいまで。
ある時私は『こんな人間には絶対にならない。こんな人間には絶対に屈しない。』そう決めて兄を睨み返しました。
私の態度にすごみ、怒鳴る兄に向かって言いました。
『好きなだけやればいい。殴りたきゃ殴ればいい。絶対にお兄ちゃんの思い通りにはならないから!』
その時もかなり叩かれたけど、ずっと睨んでいました。ずっと。終わるまでずっと。
後からバツが悪かったらしく、『使えよ』ってアイスノンを投げてきたけれど、即座に『いらない!』ってカウンターで叩き返してやりました(笑)

その頃から、暴力を振るわれる事はなくなりました。


私の中学生の頃の口癖は『お兄ちゃんが死んでも泣かないや』でした。
許せない存在でしかなかった。

兄はその後どんどん負の連鎖に入っていきますが、今でも図星をさされるとすごみ、壁やドアを叩き、怒鳴り散らし、理詰めの説教を大声で始めます。

私と母は長い間、それが怖くて兄が好き放題してても強く言えませんでした。
反論する時やケンカになる時は、内心ものすごい心拍数でした。

兄はだんだん自分を見失っていきました。
お金に困り、時折私に貸してくれと言う様になりました。
断れない理由をつけて、申し訳なさそうに、すぐ返すと言うその姿は、父にそっくりでした。

お金が返って来た事はありませんでした。

私名義で借金をされ、裁判所から通知が来て、怪しいと思い書類を見つけ、問い詰め、私が全部返済をしました。

その後も10万単位の支払いを私がする…
そんな事があったりしました。

家の家賃が滞った時も、ガスや水道が止まった時も、取り立て屋が来た時も兄はおらず、出来る限り私が支払いました。

逆上されるのが怖くて、強く言えませんでした。
でも怖かっただけではないんです。

兄も心の闇を抱えて大人になってしまったのがわかる。

私は女で、よく母といたので守られていた部分があるけれど、彼は父親というものをよく知らず、それなのに責務と重圧だけ与えられ、いい子でいる事を強要され、従兄弟の縦社会で、学校で惨めな思いをした。

妹に暴力を振るい、軽蔑され、サラ金に数百万円の借金をして、職もなく、期待もされず、自分をクズだと追い詰め、どこにも出口を見つけられずに苦しんでいる。

何かが少しでも違えば、彼は私だったかもしれないんです。
私は大した人間じゃないけれど、何とか自分を保ってくる事が出来て、恵まれていた。

私がするかもしれなかった経験を、兄が兄だということで背負ってくれたと、今は思えます。

兄はどうしようもない自分への苛立ちを、私が家からいなくなった後、父に向けました。
父を軽蔑することで、憎む事で、自分を保っています。

少し落ち着き始めた父は、兄に、母に、とても偉そうにふるまう様になりました。

兄は仕事もまともにせず、自分に希望を見い出せず、表面では父に合わせ、時折衝突をし、恨みを膨らませていきました。

そして、父がまた崩壊しました。

私は兄と話し、何回も衝突し、セックスごっこ以外の、兄への気持ちを伝えました。

今、兄は父と母の住む家で、自分の未来の事だけを考えて、孤独と戦いながら進み始めています。

兄は大丈夫なのではないかな、と思いたいです。

今は父や母に反発心を持つ事で自分を奮い立たせているけれど、きっと歯車が回り始めたら、解放されると思います。

それを、もう頭のどこかでわかっていると思います。

まだ、男性というものへの根本的な恐怖心はあります。
兄と父への生理的な嫌悪感も時には顔を出します。

だけど、兄が立ち直り、自分を認め、幸せになって欲しいと本当に思います。

そうなる事で、初めて兄への恐怖心が無くなる気もしています。

この現状が苦しくても、今、この瞬間、この一瞬一瞬に幸せになると決める方を選択しながら、いつか彼の周りが明るさで包まれているといいなと、願っています。


そして、兄妹だから言います。
遠慮なしに。
他の誰かにこんな物言いしないけれど、あなたにだけは言います。
憎いからじゃなくて、
兄妹だから。多分、小さいあなたと私は、同じものを共有してきたから。


お兄ちゃん、甘えんな。根性みせろ。
散々グダグダしたんだから、そろそろ目を覚ませ。
自分も恵まれていた事を、思い出して。
1人っきりじゃないくせに、1人きりみたいな顔するな。いつまでも。
あんたは可哀想なんかじゃない。
でも今は幸せでもない。
どっち向くのかハッキリ決めな。
右に向くのか左に向くのか。
下ばっか向いてるな。
決めたら後は、自分を信じろ。
信じられるまで、信じるのをやめるな。

1回ぐらい幸せそうな姿見せてみろ。



まとまりのない文章で、長い文章でごめんなさい。
読んでくれたみなさん、本当にありがとうございました。