ゆめであえたら。

なんだかんだで、なるようになってる。

『誰かを助けたいなんて傲慢だ』なんて傲慢だ。

タイトル通りです。


こんにちは。なるよです。


どこで聞いたか忘れでしまいましたが、以前この言葉を聞いて、なんだかすごくモヤモヤしてしまいました。


自分の中にやっと少しだけ芽生えた前向きな気持ちとか、
こんな自分でも役に立てるかもしれない希望とか、
そんな時に『自分を自分らしく生きてる人』のちょっとした言葉が、自分を好きになろうとした人の心をへし折る事ってあると思います。


その人の『誰かを助けたい』は傲慢かもしれないけれど、その人の見た人の『誰かを助けたい』は純粋かもしれない。


自分の『誰かを救いたい』が傲慢だからといって、大声でそんな事言ったら、みんな何も出来なくなってしまうんじゃないかな。


例えば本当に傲慢だったとしても、
確か人って間違ってしまうものなんですよね?
誰も傷つけずには生きていけないんですよね?
そこからまたやり直せばいいんですよね?


じゃあ、そのままでいいと思いました。


その人にとってはそれが動機で、活力で、目標で、目的なんだから。


人助けに限らなくたって、傷つけ合ったり、失敗したり、後悔したりする。


それなら、そこにだけ傲慢を突きつける事もない。


誰かの願いを、それだけ特別視して傲慢だなんて、決めつけ過ぎてる気がしてしまいます。

『自分にしか救えないからやってやるぜ』って言ってるわけじゃないのなら。


でもきっとこのブログやそのセリフも『人』が言っているから、誰かをどっかで傷付けてたりもするんでしょう。


だからこそ余計に、『判定』しないでいられる自分でいたいと思いました。


『誰かの為に何かしたい』


そこから見つかるものは、たくさんあると私は思います。

そこで『傲慢』が見つかったら、向き合えばいい。


というより、傲慢じゃない人間ってどれだけいるんですかね?


攻撃されたら防御はするけれど、
好き嫌いだけでの威嚇射撃は、時に攻撃と変わらないと思いました。


私自身が未熟者だから、『強い人』の言葉に傷つきたくなくて言っているだけなのかもしれませんけどね。


きっとみんなそんな大した人間じゃないなんてわかってるけれど、何か少しでも役にたてば…って気持ちは、もっと柔らかいものだと、私は思いたいです(^^)



読んでいただいて、ありがとうございました。