ゆめであえたら。

なんだかんだで、なるようになってる。

そんな感じを、多分神様は許してくれる。

動きたいのに、何をしていいかわからない事

会いたいのに、誰なのかわからない事

話したいのに、言葉にならない事

訴えてるのに、伝わっていない気がする事

思いっきり愛したいのに、到底出会えない事

わかってるのに、悔しくて納得できない事


それでも毎日は始まって、また何事もなく終わっていく事


本当はずっと画面の中を検索して、自分の似たもの探しして、なかなか見つからなくて、自分みたいな人が出てくるまで調べていたい。


なんでだろうって膝抱えて、寝そべって途方に暮れていると、それはそれで落ち着く。


何にも変わらないんだって結論づけて決めつけて、だから悲しくて動けない、苦しいから動かないって、自分は無気力だって決めつける。


不安定な安定は、暗いけれど狭いけれど、重くて沈んでるからフワフワユラユラ揺れたりしない。
浮かばないからこれ以上は沈まない。

日は登らないから、夕暮れもこない。


意外と慣れてしまえば楽なパターンだったりする。


『そこ』にいればいいから。

『自分をちゃんと責めてる事』で、義務を果たしてる気になれるから。


だけど何も変わらない。


本当に変わらない。


ただただ積もっていってしまう。


自分ですら、届かなくなってしまう。


そこで切り替える事がどんなに力がいるか、決心がつかないか、嫌ってほどわかる。


重力が何百倍にもなった様な重さ。


動かそうとする体に、半端ない抵抗力がかかる。


現実はそれだけ重くのしかかって、


ただ何もない日々に、掃除したりコンビニ行ったり映画見たり本読んだりするだけじゃ、
『そんなんで役割果たしたツラすんな』って責められてる気になってしまう。


でも1番大事なのって多分、
そういう何にも出来てない自分でいいんだと、
役割なんかなくても生きてて大丈夫と、
その虚しさは自分を無力だと責めてる事だと、
無力は罪じゃないと、


ありきたりな日常で思えるようになっていく事だと思う。


悔しくて情けなくて物足りないけれど、
大役じゃない自分の役割を、
くそ喰らえな今居る場所を、
『ここが自分の持ち場だ!』って、
仕事片付けてからじゃないと進めない。


やり方はきっと、今の持ち場と役割を、受け入れる事。感謝でもいい。


なかなかなかなか、難しくてしんどい作業だったりする。


難しい役割を持ってる人は、多分みんなほんとは出来る。


出来るから生きてる。


そうやって、自分に少し『特別感』を出すぐらい、
多分神様は許してくれる。