ゆめであえたら。

なんだかんだで、なるようになってる。

『認める事』すら意識せず、当たり前の様に。

『無力感の正体』という記事を書いた後に、何にも能力がなくてもいいやという感情が出てきました。


初めての感覚です。


でも、『ワーッ✨』って盛り上がるわけでもなく、『あ、そんな頑張らなくていいんだな』って、肩の力が抜けた感じです。


良い機会だからしっかり向き合おうと思い、『役に立たなきゃ』の感情を先日よりもっと辿ってみました。
小さい頃の、色んな事を思い出しました。


色んな大人から、色んな年上から、色んな事を聞いていた一族で1番末っ子の私は、
大人になったら家の役に立つように生きる事、世間はとても怖い事、人は信じちゃいけない事、油断したら足元をすくわれる事、
正直者はバカをみる事、けれど良い子で人に優しい人になる事というとんでもない矛盾を、サブリミナルテープの様に刷り込まれ(笑)、みんなグレてゆくたくさんいる孫の中で、『お前は良い子だからそんな事しないよな』的な見えない期待に応えようと、それをしないと認めてもらえないと、


そんな風に無意識に感じ取っている自分を思い出しました。


こういう時私は、紙に書き出してゆくとそれと連動して色んな事を思い出せるので、深く掘り下げたい時は書くことが多いです。
頭だけで考えるよりも、どんどん出てくる気がします。


自分で自分を受け入れて、色んな感情を認めて、私は何故まだ焦りが消えないのか不思議でした。
何をすればいいのかわからなくて、試行錯誤しました。
わからないから、動きたいけど怖い…を片っ端からやりました。


それでも焦りは消えなくて、ちょっと手詰まり感がありました。


それで気がつきました。
私は『私ってこれでいいのか…?』と今もまだ頭の片隅で思っている。

何に対してか考えたら、
幼い頃の言いつけだった事に行き着きました。


ただ誤解しないでもらいたいのは、誰も悪くなかったと言う事です。
誰が被害者だというならみんな被害者で、
誰が加害者だというなら私を含め、みんな誰かを傷つけてきました。
傷つけられてきました。


みんな、ただ抜け出せなくて、ただ傷を広げたくなかっただけだったんだと、今になって思えました。


今はまだうまく言葉にまとまらないけれど、
私はこれから『認められない自分』に、これまで以上にオッケーを出していこうと思います。


特に役立たなくても、特別な力がなくても、
不甲斐なくても、ただ生きているだけでも。


『認める』とか『認めない』とか、そんな事すら意識せずにいけたら最高ですね。


当たり前の様に生きる。


生きてる事を当たり前の様に生きる。


自分の存在に疑問を感じずに生きる。


なんて素敵な生き方だろうと思います。


そしていつもどおり矛盾してるけれど、
『当たり前を感じながら、その事に感謝』をしていける自分でありたいと願います。


先日、走水神社の話を書きましたが、
その直後にまたこうして、ずっと持っていたしがらみが解けてゆくのは、偶然かもしれないけれど不思議ですね。


偶然と思わずに、感謝します。


読んでいただいた皆様、ありがとうございました。