ゆめであえたら。

なんだかんだで、なるようになってる。

この世界は、素敵な矛盾で出来ている。

先日、主人から話をされました。


『あの時離婚をしなかったのは自分の意思で、そこに後悔はなかったんだけど、時間が経つごとに本当に離婚しないで良かったと、強く思ってる』


主人はずっと『良かった』とか『幸せ』とか、そういう言葉を自分から言ってはいけないと、感じてはいけないと思っていました。


傷つけたから。自分の都合ばかりで動いたから。だからそんな事を言う資格はない。
そう言っていました。


誰も責めていない。何も気にしていない。
私は、私の自分との向き合いの為に起こってくれた事だとすら思っている。
今の自分になるキッカケをくれた事に、感謝をしている。

それでも『それはダメだ、許される事は許されない』と助かろうとしない主人に、私は何かをしないでいる事にしました。


彼の心の問題は彼のものです。


どうあって欲しいとか、立ち直って欲しいとか、不思議と無かったです。


向き合わなきゃいけないものに向き合っているのだろうから、邪魔はしない。


ただ、何かを我慢して、本音を押し殺して日々を過ごしていなければいいなと思っていました。


だから冒頭の言葉を聞いた時は、安心しましたね。
そこから色々突っ込んだ話もしたのですが、
彼が『これで良かった』ととても思っているのがわかって、それならば良かったなぁ。と私も思いました。


そして突然、主人から『セックスレス解消』の申し出がありました。


過去の記事にも書きましたが、
心から別に無くて構わないと思っていた事です。
主人も性欲とか、お詫びとか、義務とかではなく、『自分の殻を破る為』の、主人なりの大きな1歩なんだと思いました。
『怖い事に飛び込む』事を、やっと自分からできたんだと思います。


結果的にセックスレスは解消した形になりましたが、これからもあってもなくても構わないと、多分お互い思っています。


主人自身が残してきてしまった課題をクリアして、二人ともすごく平らな感覚です。
申し出があった時も、解消する前も、解消した後も、変わらないです。
ただ、取り残されていた、置いてきた問題を、二人で確認する事ができたという、共通意識が生まれた。


拒否をするわけでもない。期待をするわけでもない。義務があるわけでもない。権利を主張したりもしない。


もしかしたらこれから先、またどちらかが恋をしたりもするでしょう。


セックスはするともしないともわかりません。


でもきっと、自分の考えと同じくらい相手の考えを尊重して、
お互いがお互い傷つかない、感謝できる行動をとるんじゃないかと思います。


それがどんなものかもわかりませんが。


主人も言っていましたが、多分、なかなか理解を得られない話だと思います。


偽善や仮面や取り繕っているだけととる方達もいるでしょう。


けれど、嘘みたいな本当の話が、現実に成り立っています。


娘が帰り道に花を摘んで、私に見せたくて走って帰ってくる。

息子が起きると私を探す。

主人が変わろうと勇気を振り絞る。

両親が、私の隠していた本音を受けてくれる。

恋愛感情とか、夫婦愛とか、家族愛とか、そういった何かで括るものではなくて、
『存在自体を認められている』という意味の、『愛されている』という実感を初めて持ちました。持てました。


『私は愛されている』と書くのは、なかなか勇気がいりました。
確証は不安材料、約束は傷つくもの。
幼い頃からそう思って生きてきたからです。

でも書きます。
また傷ついても、私は多分私を受け入れられるから。

私の心は私の自由です。


子供達が自由で幸せであればいい。

主人が自由で幸せであればいい。

私も自由で幸せでいる。


親子とか夫婦とか家族とか、関係性を考えると様々な矛盾が生じるのかもしれないけれど、きっと大丈夫なんだと、確証もなく確かに思いました。


この世界は素敵な矛盾で出来ている。


最近私はそう感じます。


そう感じながら、今日も家族に小言を言っています(^^)


読んでいただいた皆様、ありがとうございました。