ゆめであえたら。

なんだかんだで、なるようになってる。

願った人だけが、叶うんだと思う。

私は、立ち向かう人を応援したいと思っています。

立ち上がろうとする人を、励ましたいと思っています。

『絶対に乗り越える』この言葉は強がりな事を、私はよく知っています。

これまでの人生で、最大のハッタリでした。

今はもう、少しずつ懐かしくさえ思えてきているけれど、その当時、そのハッタリを信じていてくれる人がいたら、どんなに心強かっただろうと思います。

でも誰かに聞いてもらっていたら、今の私は今の私ではないのかなぁ。


1人でやらなければいけない時がある。
弱音や泣き言を自分以外の誰かに話したら、終わってしまいそうに思える時がある。
『これは自分で抱え込まなきゃいけないモノだ』ってわかる時があると思うんです。


それをカウンセリングのように聞き出して、分析して、判断して、導いていくような事は、時として助力にならない時もあるし、そんな能力も私にはありません。


けれどその『頑張り』を、『踏ん張り』を、
今まさに立ち向かっている瞬間のあなたを、
『認める』事は出来る。『信じる』事を、したい。


『知ってるよ』『辛いね』『でも、あなたの目は力強く輝いている』『だから、きっと大丈夫』


強がりが弱まりそうな時、
ハッタリが緩みそうな時、
『自分を信じる』と決めた自分を、信じられなくなりそうな時、

信じる力をレンタル出来るような、そんなポジションの様な、職業の様な、場所や人になれないもんかなぁ…と、思考錯誤しています(笑)


昔から『寂しい人』に流れ込まれる事が多かったです。
それを拒否したら自分はひどい奴なんじゃないかって、飲み込まれたり、延々と捕まってしまったりした時もありました。
立ち向かうつもりはない人の、愚痴や不安や不満や、誰のせいだとか、自分がどれだけ可哀想かとか、ひたすら聞くことになってしまった時もありました。

そして、私が流れ込んで、拒否されて、指摘されて、自分がめちゃくちゃ情けなくなった事もあります。


でも自分を受け入れられてからは、ハッキリ断れる様になってきました。


『あなたの悩みや寂しさを、私が代わりに受け持つ事はできないし、半分もらうつもりもありません』

『あなたの苦しみはあなたのもので、私がもらっても何の解決にもなりません』

『居場所を見つけた!と思われているその感覚が、とても怖いし、苦手です。困ります』

『私は私の悩みと幸せしか守れません』

『誰かに渡さず、自分でやるしかないと思う』


やるやらないは、完全にその人の自由だと思います。
立ち向うから良い、何もしないから悪い、そんな事は誰にも決められないはずなんです。


その、それは良くてそれは悪いって事すら、自分で決める『自分の事』だと思います。


『私に判断させようとしないで』と、渡されそうになると思います。


昔、1人の人に言われた事があります。
『オマエは人を選んでいる』

そしてそれと同時に、また違う人に言われました。
『それの何がおかしいのか。誰とどうしたいか、決めるのは自分だろ?』と。


自分で『自分がどうしたいのか、どうなりたいのかを決める』なら、
私は立ち向かっている人を、
立ち上がろうとしている人を、
めいっぱい強がっている人を、
その精一杯のハッタリを、
信じるって事をしていきたいと思いました。


限定的かもしれないけれど、
需要は少ないかもしれないけれど、
私が私の経験から出来る事、私の度量で出来る事は、これなんだなって思いました。
それがしたいって自分で決めて思いました。


だから駆け込み寺にはなれないんです。
拠り所には、なれないんです。
そんな大きな人間ではないんです。
それは、私はしたくないんです。


だけど誰かが『自分を信じる!』って決めたなら、全力で応援します。
出来る事はないかもしれないけれど、『自分を信じようとする』あなたを信じます。


柔らかい、優しい、受け止めてくれる、朗らかな印象を持っていただいてた方がいたらごめんなさい。


そんな『良い人』ではないけれど、あなたの心のあなた探しに、ずっとエールを送り続けますよ。


探しているなら、見つかる。
始まってるなら、行き着く。
問題は、出てきた時点で解決に向かっている。


私はそう信じます。

めいっぱい強がりながら。
人生最大のハッタリを張りつづけながら。


読んでいただいて、ありがとうございました。