ゆめであえたら。

なんだかんだで、なるようになってる。

惨めな自分を惨めな自分と思える事は勇敢だ。

惨めな自分を惨めな自分と思える事は勇敢な行為です。


突き進むだけが勇気じゃなくて、
留まる事も、その場で踏ん張っている事も、逃げる事も、離す事も、放す事も、言わない事も、伝える事も、自分の心に湧き上がった『こうする』『こう有りたい』をやっている人は、みんな勇気を出せているんじゃないでしょうか。

みんな勇敢な決断をしているんじゃないでしょうか。


正しい事だけ考えると苦しくなります。
丸く収めようとすると怒りがわきます。


自分勝手な行動も言動も、1つの勇気。
誰かに何かを言われても、誰かを何かを傷つけても、自分の決断だと受け入れながら進めるなら、自分が納得しているなら、それは自分を大事にしたという事。大事に出来たという事。


そうすると不思議とね、後悔は湧かないと思います。


本当はどうしたいかわかっている人は、多いと思います。
『でも』そんな事できない。
『だって』これがこうだから。
そうやって、隠してる。気づいていないフリをする。


当たり前です。怖いもん。平気で出来ることなら悩まないですよね。
でもその状態も、八方塞がりで苦しい。


だったら何かで誤魔化そうとしないで、その場をしのごうとしないで、自分が『本当はこうしたい』と認められる本音に行き着くまで、それを隠している自分のガードが外れるまで、自問自答するのもありなんじゃないかなぁと思います。


『私は恥をかきたくないんだ』
『私は傷ついて、動けなくなるのが怖いんだ』
『私は自分を惨めにしたくないんだ』


やらない理由を誰かや何かのせいにせず、自分の見栄やプライドを確認してあげると、すごく考えがシンプルになりました。


誰かに責任をなすりつけている様な後味の悪さも、無くなりました。

そこでどう決断するかで、変わっていくのだと思います。

そして、怖くて出来なくて、当たり前なんだと思います。
何にもおかしくない。弱くて駄目なわけでもない。

じゃあ、なんでそんなにそれが怖いんだって、また自問自答が始まりますが(笑)


その繰り返しで、自分に納得が出来ていくのではないでしょうか。
そうすると、やってみよう、動いてみよう、傷ついてもいいからって思えてくるのではないでしょうか。
傷つけてたとしてもって思えるのではないでしょうか。

だって傷つけたくないのは、傷つけたっていう傷を自分につけたくないから。

傷つきたくないのと、変わらないです。


自分の弱くて脆い部分をガッツリ認める事も、勇気だと私は思います。
過去と向き合って、後悔を確かめて、自分の今までを認めていくのも勇気だと思います。
自分の今現在をそのまんま認める事。
怖がってちゃ出来ない事ですもん。
1つの勇敢な選択です。


読んでいただいて、ありがとうございました!