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ゆめであえたら。

なんだかんだで、なるようになってる。

息子の『おなかにくるまえのはなし』

ちょっと不思議で泣いてしまった出来事がありました。


私には2人子供がいて、お姉ちゃん、弟です。
私はお姉ちゃんの妊娠中から、『子供は絶対に女の子がいい!』と強く強く思っていました。

というのも、私は親族、父、兄を見てきて、男性に対して物凄く複雑な思いがあります。
それに気がついたのは、二人目を妊娠して、男の子だとわかった時でした。

自分でも驚くほどショックで、怖くて、お腹にその子がいるその体で、帰り道の車で1人で泣いていました。

私に男の子が育てられるだろうか……
こんな私が育てたら、あの人達の様になってしまわないか……

尊い命にそんな事を思ってしまう自己嫌悪、でも抑える事が出来ないくらい湧き上がってくる恐怖。


だけど何とか気持ちを前向きに前向きに持っていって、生まれたその子は、驚くほど愛おしくて、お姉ちゃんもその子も同じ様に私は愛していて、とても嬉しかったです。


男の子はママっ子と言いますが、例にもれず超ママっ子で、
お姉ちゃんもママっ子だったから慣れているつもりでしたが、2人いるから尚更大変で。

情緒はとても安定している子でしたし、幼稚園にも一度も泣かずに行き、先生達にもいつも楽しそうと言ってもらえていたのですが、私の中で罪悪感が消えないのでしょうね。

時折『お腹にいた時にあんな事を思ってしまったから、今も不安になったりするんだろうか……』なんて思ったりしていました。

だけど罪悪感を持ち続けて接していると、良い影響はないと思ったので、棚に上げる様で心苦しかったですが、目一杯の愛情や安心を見せる事でしか、そんな事思ってないよ、という事を伝える事は出来ないと思っていました。


寝かしつける時に、時々何かの折に話すのですが『ママの所に来てくれてありがとう』『ママをあなたのママにしてくれてありがとう』『あなたが生まれてくれて、ママはとっても嬉しいし、楽しくなった』

いつもと同じ様に話していました。

すると息子が大号泣をし始め、私に言いました。


『ほんとーは、どうしよーかなーって迷ってた…』
泣きじゃくりながら言うのです。

衝撃と同時に、ピンときた私は
『何をどうしようかと思った?』と聞きました。

『このママがいーなーっておもったんだけど、いってへいきかなぁって………』


私の顔はグシャグシャになりました。
涙が止まらなくて。
でも、素知らぬフリはしたくなくて。

『そっか、そうだったんだね。このママは大丈夫かなーって、心配だったんだね。そうだよね。でもね、ママはあなたがいてくれて、毎日本当に嬉しい。良い子のあなたが好きなんじゃなくて、どんなあなたでも絶対に好きなんだよ』と伝えました。


グシュグシュ泣いていた息子は
『ほんとうのことをきいてくれてありがとう。ずっといっしょだもんね。』とニコッと笑いました。


そしてしばらくすると、話した事も忘れているような感じでした。


いつも、ママは僕の事が好きだと自分で言っているくらいなので、びっくりしたのと同時に、お互いの間に残っていたわだかまりを解かす瞬間をくれた息子に、感謝してもしきれません。


本当かどうか確かめる術はないですが、お腹の中にいた時の記憶、お腹に入る前の事を話し出すお子さんは、とても多いそうです。


以前に『お腹にくる前の事を覚えてる?』と試しに聞いてみた時は、『?????』という感じだったので、尚更驚きました。


もう、これは感覚の話なので、上手く伝えられませんが、『謎が解けた』ような、『ほどけた』ような、何かが軽くなった感じがお互いにあった気がします。


私が都合よく考え過ぎかもしれませんが。
許されたなんて、思ってはいけないと思いますが。


本当はお腹の中にいた時の感情を、感じずにいてあげられていたら…と思うと、私はこの話をポジティブに考えてはいけないのかもしれません。
息子が本当に私の感情の事を話していたかの詳細もわかりません。

でもこれまでに自分を修復してきた中で、
ごめんねや罪悪感は連鎖を生むと実感しました。

親から子への苦しい思いの過去は、繰り返さなくていい。

だから私は、ごめんねは自分自身の中で受け止めていって、ありがとうを出来るだけ伝えていく事に決めたんです。

とはいっても毎日の子育てにイライラしたり、怒ってしまったり、絵に描いたような理想の母親ではありませんが、毎日ゲラゲラ笑いがあります。
私を母親として、慕ってくれています。

今は抱っこも一苦労なくらい重くなりました。
大きくなってきて、だんだん抱えきれなくなってきました。

私はこの抱えきれないほど貰った愛情を、めいっぱい幸せだぞって所をみせて返していけたらいいなと、思っています。

さあこの私で、ここからまた、どんどん幸せにならなくちゃ。見てもらわなくちゃ。
あなたがいてくれて幸せだという事を。


読んでいてご不快に思った方もいらっしゃるかもしれません。


ですが、読んでいただけた皆様、本当に、ありがとうございます。

そして2人共、生まれて来てくれて本当にありがとう。

あなたの変わりたい様に。

こんにちは。なるよです。
私は自分嫌いの克服と、主人の不倫と、実家の家族問題をいっぺんに味わいました。


何年も自己否定を繰り返し、
ある時期に『やるしかない!』と決意を固めた瞬間に、スイッチが入った様に物事が動き出しました。


今では幼い頃からの事も全部全部、自分を認める、受け入れる為に起こった事だと思っています。


私は自分が嫌いでした。
いてはいけない様な、存在自体に罪悪感の様な気持ちを、ずっとずっと抱えて生きてきました。

なんで私はこんななんだろう?
なんで私の人生はこんななんだろう?
なんで私は抜け出せないんだろう?
なんで私は自分が嫌いなんだろう?

でも、やらなきゃ。でも、頑張らないと。
でも、止まってるわけにはいかない。でも、このままじゃダメだ。

もっと頑張らなきゃ。もっと前向きでいなきゃ。もっと働かないと。もっと優しくならないと。もっと綺麗な心に。もっとちゃんとした人間に。

だけど苦しい。疲れたよ。寂しいよ。泣きたいよ。何もしたくない。悲しいよ。理由がわからないよ。

そんな甘えた事いっちゃダメだ。
そんなネガティブな事考えちゃダメだ。
みんな苦しいんだ。みんな頑張ってる。
何にも誇れるものもない私が、こんな弱音を吐く権利なんてない。


そうやってね、ずっとずっと長い間、ほんとに長い間、止まらない往復ビンタの様な仕打ちを自分自身にしてきたわけです。
ちなみに、これ、一年前までそうでした。


だけど自分でも驚くほど、信じられないほど、物事の感じ方が変わりました。
でも、カウンセリングを受けたり、誰かとの特別な出会いがあったわけではないんです。


それでも時間はかかったけど、遠回りに思えるけど、ここまでこれたんです。

きっとね、人から見たらただの普通の、その辺にゴロゴロいる人間ですよ(^^)

その、なんて事ない自分で良し!と、今、思えてます。


自分次第で、変われる。
本でみたりテレビでやってたりしたけど、私自身もそんな事、本気で信じていなかった。


だけど変われる。
私が変われたから、あなたも変われる。
あなたがそれを信じてなくても、私はあなたも変われると信じる。


自分が自分を信じられない時でも、誰かが自分を信じ続けてくれていたら、いつか『もしかしたら自分も変われるんじゃないか』と思える日が来るかもしれない。


ほんとに自分を受け入れる事は出来るんだ!と感じた時、身勝手だけど、同じ苦しみを感じている人に、大丈夫だと伝えたくなりました。


それはきっと無責任にもなるし、傷つけたり、傷ついたりもするだろうとも思った。


だけど大丈夫なんだと、変われるんだと、大声を出して叫びたい私がいて。
それしか出来ないから、全力で伝えたい自分がいて。


変わらないそのままでいいんだ、と思える様に変われた時、もっと変わっていきたいと、今までとは違う気持ちで、思いました。


揺るがない信念は持ってません。
迷いや不安は無くせません。
ブレない人間ではありません。
優しさや思いやりの塊でもありません。


だけど私は、あなたも自分を認める事が出来ると思う。


名言なんて言えません。
カリスマ性なんてありません。
文才も話術もありません。
ほとばしる情熱の様なものもありません。


それでも私は、あなたは変わりたい様に変われると思う。


これしか出来ないから、これしか言えないから、自分がこの身で経験した事しか伝えられないから、それでもあなたにあなたを大事にしてほしいから、私は今日も明日も勝手に信じ続けます。


あなたは変われる。
あなたは自分を受け入れられる。
あなたは自分を大切にできる。
あなたはあなたを、好きになれる。


根拠もなく、誰かにそう言ってほしくなったら、またフラリと立ち寄って下さいね。


ここまで読んでくれて、ありがとうございました。

ベッキーさん、不倫前より今の方がいいよ。

ベッキーさんについて、書いてみてしまおうかなと、思います。


不倫が発覚するまでは、とっても好感度が高い方でしたね。
CM女王なんて呼ばれたりして。


でも私は、騒動前のベッキーさんより、今のベッキーさんの方が好感度が高いです。
とは言っても、元々そんなに詳しくはないですが。


不倫が発覚する前にテレビで拝見するベッキーさんは、とてもソツが無く、でも真面目過ぎず、とっても親しみやすそうな感じにみえました。
親しみやすそうな『感じ』に。


私は昔から、人見知りしないでしょ〜なんてよく言われ、ほんとは人と距離をとると言うと信じてもらえませんでした。

人に不快感を抱かせずに入って来られないようにするには、ある程度『オープンですよ』的な空気で、核心に触れられない為に、逆に入っていいスペースをある程度開けとく、的な感じでした。
無意識にそういう接し方をして、自分をガードしていました。


勘違いかもしれませんが、ベッキーさんにも少し似た雰囲気を感じました。


とっても一生懸命にキャラを作っているように見えました。
とても自然に見えるように。
当時はそれが逆に『そんなに好感度高いかな???』と不思議に思う原因でした。


そして、あの騒動。


お相手だった方が最近TVに出たりして思った事は、ベッキーさんは本当に1人で現実と向き合ったんだなと言う事です。


物凄く頑張ったんだな、きっと様々な物事や感情を見るだけ見て、受け止めるだけ受け止めたんだな、と思いました。


憶測ですけれどね。


良い子のレッテルが剥がれ、自分はこんな事をする人間ですって事を晒されてから、誹謗中傷、自己否定、罪悪感、奥様の想い、お相手への未練、恨み、憎しみ、人間不信、自己不信、離れていく人もいたでしょうし、これからの人生に対しては恐怖ばかりだったのではないでしょうか。


でも今、TVでみるベッキーさんは笑っていて、しっかり顔を上げている印象を受けます。
以前の優等生すぎる危うさの様な印象が、私は無くなりました。
傷つけて、傷ついて、色んなものを無くして、残った『自分』で生きていこうとしている、大人の女性に見えます。
時々見せる表情に、悲しみや抱えているものの重さを感じますが。
自分で自分の持つものを、しっかり認識できている印象を受けます。


ある意味で、とっても肩の荷が降りたのではないかなと思います。

期待や重圧、見栄やプライド、重かっただろうなぁ、やっと降ろせたんだなぁと感じました。


お相手の奥様の事を考えると、ベッキーさんは何も悪くない!!!とは言えないのですが、夫婦には夫婦の事情、奥様には奥様の心の事情もあるかもしれません。

掘り下げてしまえば、
あの男性と結婚した事が原因、
じゃあ、あの男性をあんな性格にした原因は?
その原因の原因は?

になってしまうので、今はベッキーさんにフォーカスして書かせて下さい。


傷ついて、そこから上を向く女性が1人増えた。
とても嬉しいなぁと感じました。

怖さも不安もあるでしょうけれど、いい恋をしてほしいですね。
私は幸せになる権利なんかない、なんて思わずに、いつかウルトラハッピーになってほしいです。
もう十分に、『世間』と『愛した人』にメッタ切りにされたと思います。
その事をご自分の責任として認識していらっしゃる様に見えます。


そして最後に少しだけ、、、
奥様にも、とっっっっても幸せになってほしいです。
『浮気された妻』『捨てられた妻』なんて思う必要もないと思います。

その時に取り沙汰された相手がベッキーさんだったという話で、タイミングさえズレていれば今の彼女さんだったかもしれないですし、また違う女性だったかもしれません。

ベッキー』さんだったから夫がおかしくなったって訳ではないと思うのは私だけでしょうか。

仮にあの方に固執して夫婦関係を続けても、
『幸せ』ではなかったかもしれませんしね。

思考は現実になるってよく聞きます。

だから私は、奥様とお子さんにも、とっても幸せになってもらいたいと思います。

あの時があったから今がある。
そう思えるぐらいに幸せな女性が、これから2人増えますように。


読んでいただいて、ありがとうございました。

自分を信じるってなんだ。

『自分を信じる』
とてもよく聞く言葉で、そうなりたいと思っているけれど、
じゃあ自分を信じましょう、はいスタート!って言われても具体的にはどうしたらいいかわからなかったのは、私だけでしょうか。


自分を信じられているのかが、まず信じられなくて。


自分を認めよう、好きになろう、幸せになろうと決めてからも、『自分を信じる』がうまく掴めませんでした。
必要不可欠になるはずなのに。


自分否定と向き合って、もがいて、あがいている中で、何度も何度も心が折れそうになりました。投げ出したいと思いました。逃げ出したいと思いました。
でも投げられる場所も逃げ出せる場所もなかった。

常に正念場で、常に背水の陣のでした。

これが自分を助ける人生最後のチャンスのような感覚でした。

だから辛くて苦しくて当たり前だ。
押し込めてきた感情を全部解放するって決めたんだ。
今感じている気持ちは、私がこれまでに無かった事にしてきた感情だ。

これだけ悔しかったんだ。これだけ虚しかったんだ。
私は私に見てみぬフリをされて。
投げ出す場所も、逃げ出す場所も無くて。


ごめんね、ごめんなさいって自分への罪悪感でいっぱいになって、だから苦しんで当然だ、罰を受けるべきなんだって思いそうになりました。

だけど、本当に自分で自分を苦しめるのが目的なら、極論を言えば死んでたっておかしくないはずだって思ったんです。


私は生きていようとしている。
私は幸せを目指している。
私は私を認めようとしている。
私は自分を、苦しめようとはしていないと、思っていい。

だったらどんな風に考えていけばいいのかと、悶々と悩む日々の中で、自分の中に引っ掛かるものがありました。
ヒットするような感覚ですかね。


信じられる人間になってから信じるのではなくて、
『信じるぞー!!』って強引にいくものでもなくて、
繋げていく自分。


この決断や判断が、合っていようが間違っていようが、裏目に出ようが出まいが、『今この選択をした自分』は幸せに向かっている。

後から何か問題が起きても、『そこから』また幸せや明るい方を目指して選択する。
『決めた時』まで戻って自分を責めずに。

今、自分がする選択は、自分自身の幸せに繋がっていくんだと思い続けていくこと。

『私は繋がっていくと思い続けていける』、そう選択し続けていける私でいるんだ。


湧き上がる感情ではなく、続けていく現象。心境。


『自分を信じる』が私の中に居場所を見つけた出来事でした。


今でも迷った時、悩んだ時、これでいいのかと怖くなった時は、心の中で繰り返します。

『今この瞬間、幸せに繋がる様に考えているか』
『この考えや行動は、より良い自分に繋がっていると私が自分で決める』と。

そして結果が望んだものではなくても、そこからまた幸せに繋げて選択を繰り返していくんだ、と。


毎瞬毎瞬に、自分の選ぶ道を認めて受け入れ続ける事の、その連続の行為を、人は『自分を信じる』と言うのではないでしょうか。


そして、信じられなくなる時があるからこそ、自分の中の本当を、本音を探し出せるんだと思います。

本当も本音も、あなたの中に間違いなくある。
そう思う事を繋げていって、『あなた』と『本心』の距離を無くしていってほしいです。


私は今、どれくらい離れているかな。
もっとどっちかわからなくなるぐらいに、なれるといいなと思います(^^)


読んでいただいて、ありがとうございました。

過去に、負けない。

心に取り除けないものがある。
なりたくない自分の時、抑えられない感情の時、脳裏に浮かぶ情景がある。
訴えてくるような感情がある。
思い出がある。


そこから逃げ出したくて、必死にやってきた。
ふとした時に捕まって、飲み込まれてしまう時もあった。


留まれる時もあれば、流される時もある。
戦績はイーブン。


怯えてる分だけ、隙を突かれる。不利になる。


迎え撃て。背中を見せるな。


恐怖に囚われて見えなくなってる。
怯えてるのはあっちも一緒だ。


それでもここまで生きてきた。
その事実で圧倒的有利だ。


時間が流れているだけで、もうすでに過ぎ去っている。


過去に向かって叫ぶ。


絶対に負けない。


負かすつもりもないけど、
押し潰されはしない。


戦績はイーブン。
私は心とタッグを組んでる。


もう大丈夫。
負ける気がしない。


人生最大の強がりとハッタリで、
この鬼ごっこを終わらせてやる。


もう追われない。追いもしない。
その過去があって、ここにいる。


その事にもっと胸を張る。
根拠なんか、別に取ってつけたりしない。

あなたの心は逞しい。あなたが思っているよりずっと。

自分が経験してきて、色んなお話を聞いて、その中で思った事があります。

自分は弱い、脆い、と思っている人に書きます。

旦那に不倫された、両親が離婚した、お金に困っている、親が借金まみれ、人が怖い、自分が嫌い、誰も信じない、誰も信じてくれない…………

日々、様々な人が様々な出来事に直面していて、様々な思いを抱いていると思います。

それを精算できない自分が情けなくて、駄目な人間に思えて、心の力が湧かないかもしれない。

そんな中、私が渦中で苦しくて情けなくて気が狂いそうだった時に、フッと浮かんだ事があります。


私は今こんなだけど、私は昨日と何も変わっていないけれど、
『それでも、私は今日も生きている。』


今も胸を刺すその痛みが、
思い出すと動けなくなる事が、
思い浮かべるのも苦しい事が、

朝、目が覚めて、それぞれが昨日の事になってる時点で、あなたはもう乗り越えているんだという事です。

その苦しかった時間を。


解決は出来ていなくても、
まだ先は見えなくても、
昨日の、そして以前の出来事は、過去になっているんだという事です。


苦しいと感じる一瞬一瞬を耐え忍んで生きている今日に、もっと胸を張っていいと思います。


苦しくて悲しい、そんな出来事が目の前にある時に、強引に前を向かなくてもいい。
明るい未来を描けなくてもいい。

ただただ、その一瞬一瞬を、乗り切ると決めていけばいい。

それだけでいいと思うんです。

そうやって、毎日は繋がっていると思います。

昨日より今日、今日より明日なんて、心が落ち着いたらゆっくり考えればいい事。

それより今は、耐え忍んだ昨日を、今日も立ち向かっている事を、今日も苦しんでいる事を、それでもその自分のままでまた明日を迎えていく事を、もっともっと、認めてあげてほしいと思っています。


昨日の自分が、あなたに認めてほしがっています。
過去の自分が、あなたに全否定をやめてほしいと言っています。

1つ1つ、過去の自分を認める作業が、今日、『今』まで追い付いた時、あなたの心は軽くなるんだと思います。


『自分を認める』事が出来るんだと思います。
『今を生きる』事が出来るんだと思います。


明日をずっと追いかけ過ぎないように。
昨日から逃げ続けないように。
昨日のあなたは、未来の今のあなたに、置いて行かれてると感じてはいないでしょうか。


過去に押さえ込んだ感情がとても多かった私は、ひたすら自分の気持ちと向き合いました。

辛くて辛くて。でも泣くだけ泣いて、苦しむだけ苦しんで、全部を出し切るんだと、心に決めて。

そうしていく過程で、気持ちが少しずつ変化しました。
『昨日の自分への評価』が変わり始めました。

私にこんな強さがあっただろうか。
私はこんなに諦めなかっただろうか。
私はこんなに自分の幸せを望んでいただろうか。
私はこんなに誰かを守ろうとしていただろうか。


今日も諦めない。
それが明日になれば、昨日の自分は『立ち向かった自分』になれる。


何も打開策なんてない。
何か大きく行動に出れるわけではない。
時間もお金も、何もかもが限られている。


それでも、そう考えるだけでいい。
今、目の前にある水たまりを、やっとの思いで超えると考えるだけでいい。


その繰り返ししか出来なかったけれど、それだけはやめないと決めました。

いつか『今日』に追いつく。『今』に追いつく。

そう考え続ける事が、『自分を信じる』って事だと、私は勝手に自分で決めました。

そうして、自分を認められる様になりました。


この記事が皆さんの1秒を、一瞬を、乗り越える1秒になっていれば幸いです。


読んでいただいて、ありがとうございました。

セックスは義務でも権利でもない。

セックスに義務も権利もなくていいと思います。
しなければいけないものでもないし、しなければ成り立たないものでもない。
セックスレスだからって、性欲が湧く事が悪い事でもない。


セックスをしないと自分はどんな感情になるのか。その人とセックスをしたいのか、セックスに至る事ができる自分という事の、確証がほしいのか。


セックスレスで悩む方も多いと思いますが、
少し落ち着いた自己分析ってセックスレスに大事だなって思いました。


こんにちは。なるよです。

今日はセックスレスについて書きます。

個人的な経験なので、正しいかどうかはわかりませんが、私は今セックスに不満はなく、夫婦は仲良く尊重し合えています。


我が家は完全にセックスレスです。

私の自己否定との向き合い、主人の不倫で様々な事があった時期から、完全にセックスは無くなりました。


セックスレスでは……と気づきはじめた頃、夫婦の平均セックス回数をネットで見たり、
セックスレスの定義を読んだり、女を磨く努力をしたり、『セックスレスあるある』はある程度しました。

なかなか切り込めなかった時、夫婦間の空気も恐ろしく重く、主人が不倫相手と肉体関係こそ無くても、かなり心を通わせている事は、主人からの話しで感じ取っていました。


私は自分から誘った事はなく、この空気と夫婦間の溝。
たとえ私から誘っても拒否をされるのは予想していました。
たとえセックスをしても、義務的なものになるだろうとも思っていました。

でも、私は『思っていた』だけだったんです。
だからこの現状をぶち破るには、傷つきにいくしかないなと、考えました。

すでに離婚もお互い意識しているくらい暗く重い夫婦関係で、恐らく主人には好きな人がいる。
私は子供達を守りたいし、これからの事を考えて生きてゆきたい。

じゃあ、やるしかない。
悩んでいる事に、1つ1つ結果を出していく。
この現状をどう収束させていいかわからないから、頭に浮かぶ事を全部やろう。
ボロボロのズタズタに傷ついて、絶対にそこから立ち上がろう。
そして繋がる道が私の進む場所なんだろう。


体当たりの消去法を自分で実践する!!


そう思う事でしか、前に進めませんでした。
怖すぎたけれど、ただ留まって俯いている事は嫌だったから。


『セックスをしよう』


私は主人に言いました。
主人は驚いていたけど、一応了承して、セックスをしました。
虚しいセックスでした。
屈辱的で、惨めな、形だけのセックスでした。

行為後、1人で泣きました。
惨めさと恥ずかしさで言わなきゃよかったのかと後悔しそうになった時、『ここで泣いてるだけじゃ今までと変わらない』と思いました。

私は主人の部屋に戻り、『勇気を振り絞って言った、もしかしたら喜んでもらえるかもしれないと期待した。こんな惨めなセックスは嫌だ。辛くて、苦しい。』

主人が怒り狂うのをわかってて言いました。

解決することより、自分の感情を吐き出す事が、私には必要なんだと感じていたから、あえて言いました。

予想通りにケンカになり、やはり問題はセックスの事ではなくお互いの事になりました。

それから更に夫婦関係は悪化し、私はそれでも自分の感情との向き合いを続けながら、主人の不倫を確信しました。

『それでも、どうなるかわからないけれど、これからの自分の為に、今私が出来る事を。』

そう思って恐怖心を抱えながら、何回も誘いました。
主人が自分の口から、ハッキリ拒否をするまで。
私に空気を読んでもらうのをやめるまで。
そこではじめて、1つの結果が出て、1つのこれからを考えられるから。


それからね、また色々ありました。
主人が相手と別れてきて、急にカミングアウトしてきたり。
夫婦で仲良くやり直そうとしても、色んな部分で拒否されつづけたり。
私が自分との向き合いが出来て、主人に依存しなくなった後に、主人がセックスをしたそうにしてきたり。
自分だけ傷つくのを怖がってハッキリ言えない主人を、受け入れる気にはなれなかったり。
そうしたらいつの間にか不倫相手の彼女と元サヤに戻っていて、2度目のカミングアウトと同時に離婚をしたいと言われたり……。


今になって思う事は、情けない思いも惨めな思いもしたけれど、やらなきゃわからなかった事で、やったから今がある。そう心から思います。

『何でこんな思いをしなきゃいけないのか』って思って良かった。
通るべくして通った道だなぁ。
それでスッキリ出来ているんだなぁ。
そう思えてます。


2度目の不倫問題から主人が戻って来た後、主人はセックスを気にしていました。
したいからではなく、するのが怖いからだと思います。

私も主人が望めば出来るけど、積極的に主人とする考えにならない。

だから私は、また最後に切り込みました。
『そこに罪悪感はいらない』と。
『私はもう、拒否をされて可哀相な、惨めな妻じゃない』と。
『周りがどうであれ、私達はセックスが無くてもお互いを尊重していける』と。
『私はあなたとのセックスに幸せを求めなくても、自分で幸せだと思える』と。

ここから本当に、セックスレスでもお互いが大丈夫になりました。
セックスに対しての緊張感も無くなりました。
しなくてはならないという、お互いの恐怖感も。

2度の不倫、離婚問題、自分達の本音をぶつけ合って、私達はお互いがとても大事な存在だと気がついた。

自分が今の自分になれたのは、正反対のお互いがいたからだと、お互いに思えました。

相手の不幸の上に自分の幸せを置きたくない。
幸せであってほしい。悲しい苦しい思いをさせたくない。

その事に自分が役立つなら、必要なら、喜んで協力しよう。

『家族として、とても大切な人だから』
『もはや、他人ではないから』
『あの人が幸せじゃない事は、自分の幸せではないから』

もしかしたら、主人はまた元サヤに戻っているかもしれないし、どこかでセックスを出来る場所を見つけているかもしれない。

でも男性に『私としないんだから一生するな』なんて、拷問だし、そんな束縛はしないでいたい。
それで彼の人生が後悔まみれになる事はさせずにいたい。

彼の心は彼のものです。
そして誰に恋をしても、私達家族を大事に思う気持ちに、信頼があります。

彼がこれから先、たとえ他の人と人生を歩みたくなっても、私達家族を無下に扱う事はない。
私達家族の、最大限の幸せを願って尽力するんだろう。
そう感じる事が出来る様な夫婦関係になれました。

そして私は、主人に受け入れてもらえなくても、自分で自分を受け入れられる様になりました。


今日も飲みに出かけてますよ(^^)
午前様でも気にせず寝れます。
酔っ払ってても、体調と安全だけ、自己管理してね〜と。


今、私はとても幸せです。
私達夫婦は、毎日おもしろおかしく笑い合っています。

そして今もこれまでの事も、主人に、とてもとても感謝しています。

もしかしたらセックスレスの1番の解決法は、セックスレスでも大丈夫になる事かもしれませんね。


読んでいただいて、ありがとうございました。