ゆめであえたら。

なんだかんだで、なるようになってる。

私も『守れる人』になりたい。

私はずっと守られてきました。

色んな事があった家族も、親戚も、知人も、関わってきた人達も、それぞれにたくさん傷つけたし傷ついてもきたけれど、
誰一人、私を無くそうとはしなかった。

私はいつも、自分で考える事は許されてきました。
その中で自分で自分を苦しめたりはしたけれど、
存在する事を許されている時点で、そして今も生きている時点で、私はたくさんのものに『守られてきた』んだと思います。


これまでずっと守られてきた。
見えるものから見えないものまで。色んな力で。

私自身の子供達にすら守られてきました。
彼等を守りたい気持ちは、私をどれだけ支えてくれただろう。

守ってるように思えて、私は子供達に、私でいることを守ってもらっていました。


もらってばかりで。
守ってもらってばかりで。
私はどのツラ下げて、逞しくなったつもりでいたんだろう。


守りたいです。
私も守りたいです。
誰かにあげられる人になりたいです。
あの人に、あげられる人になりたいです。


そんなに多くない人達に。
僅かな人達に。
僅かな人達も守れる力がまだないから、
もっと強くてしなやかになりたいです。


もらうのではなく、渡す人になりたいです。


渡したものは、捨てられたって構わないって思える人になりたいです。


大事な人にお返しができるように。


何かを渡す事すら出来ないなら、
大事な人が傷つかないように、
代わりに傷つく事ぐらいはできればいいのに。


もしかしたら、私はそれが1番何かを返せている気持ちになれるのかもしれないです。


でもそんな事したら、また誰かの心を傷つけるだけだから、
やっぱり自分を大事にしながら渡せるものを見つけていくしかないのかなあって、ちょっと苦しい気持ちです。


何をすれば1番の役に立てるのか。
目に見えてすぐにわかれば、何だってできるのにね。
なんて無力さを棚に上げて大風呂敷広げちゃいました。


でもそのぐらい、感謝しているって事です。
伝えたいって事です。


伝えられる人、伝えられる時はたくさん伝えて下さい。

ちょっと多すぎて、もういいよ!ってぐらいでちょうどいいと思います(^^)


私の『伝わってほしい』も、どうか伝わりますように。


そして、あなたが誰かに守られたいくらい疲れていたら、少しでも力になれますように。


読んでいただいて、ありがとうございました。

思い通りは『思いの通り道』かも。

思い通りにならないっていうのは、

もしかしたら、ですけど

『思いの通りにならない』んじゃなくて、

『思いの通りに思えてない』

『思い方が違う』

『考え方が違う』

『捉え方が違う』

そんなことなんじゃないかなって思いました。


私達が思ってる『思い通りにならない』って
『頭通りにならない』なんじゃないかなって。


自分が通したい理屈通りにならない。


あなたが思いを通らせてない。
頭で、理屈で、屁理屈で邪魔して。


ほんとはわかってる事。


それが真実な事。


これが現実な事。


それを認められない時に
『思い通りにならない』と思う。


でも逆を言えば、全部認めた上であれば、その上で『何を願ったって自由』なんじゃないでしょうか。


そしてまた、叶わない日々が続いたりする。


それが真実。これが現実。

また認め直して、放り投げて、しばらくすると探してもないのにまた浮かんでくる。


そしてまた自由に願って、叶わなくて、願ってを繰り返して。


そりゃもう苦しくて情けなくて。
手放せったって簡単になんか出来やしない。


それをまた何回も何回も何回も繰り返し続けて『ああ、これが自分の変わらぬ願いなんだな』って、ほんとの願いかどうかわかるんじゃないでしょうか。


それがほんとの願いだってわかったら、
『叶わなくてもいいから願おう。だってこんなに願いたいもん。大事にしよう』
結果を求めずにそう思えるようになりました。


新月の日に願い事をすると叶います』って立て続けに聞いて、年甲斐もなく願い事したりして。


自分の願いたい気持ちの為に願って、それってきっと自分をとても大事にしていて、
結果が出ない自分を許せなくなくなった時に、やっと願いが叶いました。


あんまりにすんなり叶ったもんだから、ハトが豆鉄砲くらいました。


『へ?! あ、そうなんですか…』って。


信じられない気持ちだけど、信じないと信じられなくなっちゃうから、
グラグラだけど落としてしまわないように。
ブレブレだけど離してしまわないように。


だけど身勝手に閉じ込めてしまわないように。


また、そんな自分でいられるように願っていきます。


ガチガチの頭でっかちと相談しながら。
 

みなさんの1番の願い事が、たくさん叶いますように。

私がハマった登場人物たち。

こんにちは。なるよです。


アホな話題をしたくなりました。


みなさん全く興味ないと思いますが、
『私がハマった登場人物』です。


以前も書きましたが、私は昔から漫画を読むのが大好きでした。
少年、少女漫画問わず。


メジャーな漫画しか読んでないとは思いますが、私の心にガツンときてくれた方たちを勝手にご紹介します。


ハチミツとクローバー』の野宮さん。


天使なんかじゃない』のマミリン。


『はじめの一歩』の宮田一郎


幽遊白書』の刃霧要。


スラムダンク』の藤間。


鋼の錬金術師』のマスタング大佐。


あと、小説になってしまいますが、


島本理生さんの『君が降る日』の五十嵐さん。

五十嵐さんに関しては、結婚後に読んだんですが、恐ろしいくらい泣いて。
もう1週間くらい『五十嵐さんを助けたい症候群』になりました(笑)
今思い返すと、なるほどだからハマったのか…と自分とリンクしてるのが何となく感じます。


何か結局みんな少し影があると言うか…
ベタっちゃベタですね(笑)
マミリンは理想の女性像かもしれない。
芯のある女性って、カッコよくて好きです。


宮田くんは10代後半の時。
お父さんのセリフがほんとに好きで。
『太る痩せるの問題ではなく、骨格がすでにフェザー級に留まる事を許さんのだよ』って言った時に感動しました(笑)
『宮田批判をする奴等、全員聞いとけ!!!』って思いました。しょーもない…。


ハチクロの野宮さんは、もう理想の彼氏ですね。こんな人いたら。
幼少よりしっかりしてると言われ続けてきた私を『危なっかしいって思われたいシンドローム』にしてくれました(^_^;)


あとマスタング大佐!
ラストを焼き倒す所で『うわ〜!!』ってなりました。
迷いの無い男性ってかっこいいですよね(^^)


藤間はこう、何ていうか…背負ってるモン一緒に持ってあげたい的な…


刃霧要はもう影がある感じが…なのかなぁ?
小学生か中学生の頃になんか結構好きでした。


若い方はわからないかもしれない…
ごめんなさい💦


だからなんだって話なんですが、
なんか重くない話を書きたくなりました!


なんでだろう??
2つ前に書いたのが大きい気がします。


漫画読みたい症候群に襲われてるんですが、
完結しててグロくないものでオススメってなんかありますかね??


しょーもない話にお付き合いいただき、ありがとうございました\(^o^)/

ちゃんと死ぬまで死なない事を、多分約束して生まれてきました。

私は恐らく、違う人生だった時に自分で死ぬ事を選んだ事があります。

多分前世ってやつですね。

ここからはめちゃくちゃ精神世界の話になります。苦手な方がいたら、読まずにおいて下さい。


あと、霊能力者とかに見てもらったわけではありません。
だけど、多分そんなに間違ってないと思う。


まだ小学校の低学年だったと思います。
テレビで心霊特集とかって時々やりますよね。
私が小さい頃は結構ブームで、そこで私は『地獄』の存在を知りました。知識として。


そうしたら恐ろしくて仕方なくなって。
『私は死んだら絶対に地獄行きだ。どうしよう、どうしよう、怖い、怖い』


毎晩怖くて眠れなくて。
ちょうどその頃、従兄弟たちとちょっとした悪さしたりしたもんだから、余計に取り憑かれたように怖がっていて。
2年間くらい、まともに寝付く事ができなかったです。
夜中に1人で泣いてるんですよ。家族の横で。静かに涙ボロボロに流しながら。
『怖い、怖い』って。



よく、自殺すると死後にそれ以上の苦しみが待ってるっていうじゃないですか。

知ってるんでしょうね。それがどんなものか。


今これ書き始めて、すごい変な感覚です。
ちょっと怖い。でも書きます。


そしてその恐怖は、母に悪さをカミングアウトして一旦落ち着きます。
夜中にまだ起きてた母の所へ打ち明けに行って、『ごめんなさい、ごめんなさい、地獄に落ちない?私、地獄に落ちない?』って何度も何度も確認しました。
ぐしゃぐしゃに泣きながら。


それからしばらくして、『自殺』という言葉を知ります。
よくドラマとかで手首を切るシーンがあるじゃないですか。
あれがなんだか生々しすぎて、直視出来ないんです。怖くて。痛い!って思っちゃって。


でもその、『手首を切る』のがすごく気になって。


家で1人、母の帰りを待ってる時に、包丁を手首に乗せてました。何回かだけでしたが。


『これ、引いたら死ぬんだよなぁ。』


もちろん本気で死ぬつもりでやってません。
なんでやったのかも、よくわかりません。
ここが生と死の境目だという確認みたいな事をしていました。
心臓バクバクさせながら。


その事がずっと思い出に残っていて、私は昔から漠然と『なんか自分で死んだ事があるんだろうな』って思っていました。


そして大人に近づくにつれて、死なない事を決めてきたように感じ始めるんですね。


死んだら周りに迷惑がかかる。
色んな人が自分を責めて、罪悪感を抱えて生きて行く事になる。
そんな事は出来ないって考えてました。


命を絶つ度胸も、私にはなかっただろうけれど。


自分の命を絶つ時、理由は環境の過酷さだけではないと思います。
心境の過酷さ。
抱えて生きて行けないという感情。
その大きさで、どんなに幸せそうに見えても、命を絶つ人はいる。


そう考える様になってから、誰かの人生を他の人が生きていたら、死ぬ事を選んだ人もいるかもしれないって考えた時に、
すごく不思議だったんです。


いつもいつも、死ぬ事だけは私の選択肢から除外されていて。


何とかして生きなきゃ、生きる事が義務、そんな感じでした。
そう始めから組み込まれてる。


そして私が『自分の内面』と向き合い始めた時、『生きる事』だけから『生きて幸せになる事』を考え始めたんだと思います。


それがここ2年くらいの間なので、もしかしたらこの辺りで亡くなった事があるのかもしれませんね。


今思い出しました!過去の記事にも書きましたが、私が心と繋がって、生まれ変わった様な世界が様変わりした様な不思議な体験をしたのは、一年前の私の誕生日なんです。


生まれた日に生まれ変わる感覚って、偶然なんでしょうかね…??


でも何度苦しくても自分を否定しても、生きなきゃ!って思えたのは自分の力だけではない気がしています。


多分、私の死で自分を責めたり、責任を感じたり、悲しみに暮れた人がいる。
もしかしたら怒りさえ感じていたかもしれない。


私が昔から探してる感覚の人は、恐らくその人なんじゃないかと思ってます。


そして私は自分が死んだ事実で、その人をそんなに苦しませてしまった自分を、後悔して仕方なかった気がします。


私は自分が許せなかったんだと思います。
自分で自分の命を絶ってしまった自分が。
それ以上に大事な人を苦しませている自分が。

その事によって、すごく大事な人に自分を責めさせた事が。


そしてこれまでの人生を、まるで罰の様に受け入れて生きてきた気がします。


そしてついさっき、やっと許された気がしました。


自分を大事にしよう!と思えてから、
『幸せにならなきゃいけない』と義務的な感覚が強かった事に気が付きました。


今回は『幸せになる事を許された』感じです。


『そうだそうだ。なっていいんだった!幸せになれるんだった!』

『ここ目指してやってきたんだった!』


なんかそんな感じです。


確かな事はわからないけれど、私が苦しめてしまった人も、私が命を絶った事を許してくれたんじゃないかって気がします。


『もう合わす顔がない』
なんかよく使ってた言葉なんですが、私はその人に対してそう思っていたのかもしれません。


それが抜けた今、会えるといいなと思っています。
ごめんねと、ありがとうを伝えたいです。


私が生きてこれたのは、その人のお陰だと思っています。


ただ、邪魔はしたくないかな。
私の存在が何かの負担になったり邪魔になったりするのなら、何もせずにいたい。


私が生きる事を望んでくれてありがとうと、それが伝えられたらこんなに嬉しい事はないです。


私は前世が見えたりするわけじゃないので、頭のおかしいヤツのアブナイ妄想かもしれません(^^)


でも私の中で辻褄ってヤツが合うんですね。
腑に落ちると言いますか。


シチュエーションとかは全く思い出せないけれど、感じた感情は合ってるんじゃないかと勝手に思ってます。


でもこれ、実際には全っ然違ってたら笑いますね。
どんだけ妄想が暴走してんだよ!って(笑)


生きる為に生まれてきました。

生きる事をガッツリ受け入れたら、幸せになる為に生まれてきました。


死ぬまで生きようと思います。


きっと私はこれに辿り着きたくてブログを始めた気がします。


まだやめないですけどね(笑)


『死ぬ』というデリケートな話題を、何の確証もない感覚のみで書いていて、不快になられた方もいると思います。
申し訳ありません。


ただ、生きる力ってすごいなって思います。
生きてるって、すごい事なんだなって思いました。


そしてどうせ生きるなら、めいっぱい幸せになってやろうと思いました。


ずっと結構ブログを更新し続けていて、やっと掴めた!って感じです。
ちょくちょく読んでくれていた方がいたら、ほんとにごめんなさい。
こまこまちょくちょくアップしてて。


『言わなきゃいけない事』が言えた感じです。


読んでいただいて、ありがとうございました。

何よりも怖い事。

私にとって何よりも怖いのは、
自分を見失ってしまう事です。


寄りかかりたくなってしまったり、
守られ過ぎてしまったり、
それを期待してしまったり、
期待して傷ついてしまったり、


役に立てなくなったり、
想いを向け過ぎてしまったり、
抑えられなくなってしまったり、
境界線がわからなくなってしまったり。


幼い頃から、ずっとずっとそうならない様にと気をつけてきた自覚があります。


それがどこからくるのかはわからないけれど、もう生まれ持ってきたモンな感覚はあります。


『頑張るから、頑張る事は自分でするから、
頑張るつもりは最初からすごくあるから、
どうしようもない!ってくらいまで疲れ果てたら、肩だけ貸してほしい。
そしたらまた、頑張るから。
サボったりしないから。
手を抜いたりしないから。
ボロボロになるぐらいまで頑張ったら、ちょっとだけ休ませて。』


もう中学生くらいからですかね、この感覚がありました。


『立ち向かわなければならない』

なぜなら、そう決まっているから。

そんな感じでした。


それでも埋もれてしまって、溺れてしまって、とても苦しい時期はあったけれど、
『諦めない事』はやめなかった気がします。


『それでも、何とかしていかなきゃ』


これだけで生きてきた気がします。


生かされてきた気がします。


自分の中に『絶対的なひと休みできる場所』を見つけて、私はとても嬉しかったのに、
でもそうしたら怖くもなりました。


これだけは無くせないって。


何も持っていない事がずっとずっと苦しかったはずなのに、
かけがえのないものを手に入れると、それも怖さになるんだなって思いました。


私が傷つくのは結構慣れっこな部分があるんですけど、
誰かを傷つける事がまだとても怖くて、
それは誰しもに正常な事なんだろうけれど、
異常に怖がってしまう私は、やっぱり怖がりなままなんだなって思いました。


でも、乗り越えます。
もしくは死ぬまで反芻しながらいきます。


それすらも全部わかってる人に、時々肩を借りたいです。


そしたら多分、いいよって言ってくれるので。


そして、私も丸ごとを受け止めてあげられる様な人でありたいです。
いつでも来て、いつでも立ち去って、またいつでも来れるような、そんな存在でありたいです。



読んでいただいて、ありがとうございました。

『執着』ってヤツと100人組手。

よく、『あぁ、自分は今すっごいこの感情にこだわってるな』とか

『これじゃダメだって思ってても、どうしても切り離せない』とかありますね。


多分、よく言われる所の『執着』ってヤツですね。


私は昔から『100人組手体質』だと最近自覚しました。


終わるまでやってやる。


出て来るまで掘ってやる。


見つけるまで探してやる。


答えが出るまで考えてやる。


自分を否定しなくなるまで肯定してやる。


自分の内面での話ですが、こう、モヤモヤを放っておかないというか、腑に落ちるまでトコトン考えてやる!って感じですね。


最初は決意のような、全部ハッタリだったり強がりだったりするんですけど、おそらくそれが私の原動力のような気もします。



スイッチが入った時は、世界一頑固なんじゃないかと思うくらい。


絶対に諦めない。


スイッチ入ってないとブレッブレなんですけどね。
グラグラ〜フラフラ〜と。
なので目の当たりにした人にはビックリされます。


そして私は自分のこの頑固さに、ずいぶん助けられました。


そんで、その執着ってヤツですけれど、私なりに手放し方のパターンがある事を最近発見しまして。


今日はそんなお話を。


読んでいただくと『なるほど、コイツらしい』ってなりそうですが、オススメはしません。


もう、ほんとに自分との100人組手みたいな感じですから(笑)


簡単に言いますと、『執着にとことん付き合う』です。
それと脳内カウンセリング。聞き役も話すのも自分。
そのどっちにも偏り過ぎないように、でもどちらも尊重して、納得いくまでガッチガチに向き合う。
なっかなかしんどいです(^_^;)

ただ誰にも迷惑はかからないように!
全部自分の中で自分の責任で自分対自分でです。
それでも多分、大なり小なり、人に迷惑って絶対にかけちゃうもんでしょうけれど。


もう、いくらやっても、見ても、考えても、絶対に今は何の答えも出ないし、事態は動かないとわかっていても、抑えきれないくらいの熱量や感情がある場合は、それに付き合いきるんです。


じゃないと、いくら頭で説得しても納得なんてしてくれやしないですもん。


私の内部は私と同じくらい頑固だから、手強いです。


そんで情けない思いして、恥かいて、もう自分が見てられないくらい滑稽で、愚かな奴で、
私もだんだん『これでどうだ!』『後はなんだ!』『まだ出てくるか!』『わかった、やる!』ってなっていって、こっちの誠意が伝わると、ご納得していただける事が多いですね(笑)


もうそのくらいまで行くと、笑いがこみ上げてきます。

『まだ出てくるの?頑張るなぁ』って。


そして、その後は閉まっていた一本道の扉が開く事がほとんどです。
パカッ!って(^^)


私は『その辛さじゃなきゃ最短で行けないなら、それで行きます』ってタイプみたいです。
『どっちみち見なきゃいけないならいっぺんに見ます』ってタイプです。


弱いくせにね☆ 強がってばっかりです。


でもこれを何回も繰り返していくと、自分が自分をちゃんと信じてくれる様になった気がします。


結果的に最短で来れた…みたいな事が増えた気がします。


でも毎回気が狂いそうになってたんですが、
これも毎回繰り返していると『大丈夫、毎回ギリギリで狂わないから』って変な信頼関係ができてきました(^_^;)


『執着しきらないと執着はなくならない』


これが私が叩き出した答えです。


でも本当に自分の内面の中で。


誰かに迷惑かけるだけの方法は、私はなるべくとりたくないなぁといつも思ってしまいます。


時にそれでしか外せないものもあるんだろうけれど、誰かを傷つけたりすると結局自分を責めるだけになって、結果的にまた沼が深くなるだけな気がします。


執着に限らずどんな感情もですけれど、
ちっちゃい子と同じ気が私はしてます。


見てくれないから叫ぶ。暴れる。
聞いてくれないから怒る。言い続ける。


それでも目を背け続けるとね、自分を閉じ込めてしまいます。
深く深く沈んで、なかなか見えない所まで行ってしまいます。


私はその時期がとんでもなく苦しくて、
それを助け出す事はさらにしんどくて、
『こんな思いをさせていたんだ』って思い知ったので、なるべく感情さん達に寄り添えればな…と思っています。


自分の感情なんでね、そんなに聞き分け良くないですが…
まぁ本人がこうなんで、それは仕方ないなって思ってます(^_^;)



読んでいただいて、ありがとうございました。

宝物が宝物だって思えたら。

やっと見つけたものとか
やっとわかった事とかって、
気を抜くと簡単にいなくなってしまうのを私はわかっています。


それは、それが不確かだから無くなるんじゃなくて、
私が、すぐに不確かになっちゃうぐらいに未熟だからだと思います。


でもそれも、自分を疑い続けてるからなるわけじゃなくて、
多分それだけ無くしたくないものなんだと思います。


私は小さい頃から憧れがあって、
憧れって言っても少女漫画やドラマみたいな感じじゃなくて、
状況や環境は問わないから、『たった1つ』になりたかったです。
『代わりのきかないもの』『それじゃなきゃダメなもの』『宝物みたいなもの』になりたかったです。



多分わたしの無鉄砲な所とか、見ててヒヤヒヤすると言われる所とかは生まれつきで、生まれる時からくっついていて、だからほんとに状況や環境は問わなかったんだなって、無事に育った今、思います(笑)


きっと私が、怖くなったり自分を疑いながらでも気をつけて気をつけて大切にしたいのは、その不確かなものが宝物みたいだからだと思います。


自分を好きになれた気持ちだったり、
自分を信じてこれた事だったり、
誰かにありがとうって思えた事だったり、
誰かを何かを嫌な自分を、それでもいいんだって思えるだったり。


それを、その在り方を忘れないように、自分の嫌いな自分になってしまわないように、1個1個を確認しながらいってます。


それでもこれでいいのかなって思う事ばかりだけれど。


これでいいって自分の判断に任せてみようって思える様にはなりました。



これじゃ悩んだり迷ったりしていた頃の自分と大して変わらなくて、
でもこれじゃ前と変わんないじゃんって笑いながら言える私は、
間違いなく以前とは変わってるんだと思います。


前の私も今の私も、とても大切に思えるようになったんだと思います。


全部が1人では出来なかった事で、
これからもそうだと思います。


だから今この瞬間に自分の手の中にあるものを確かめて、ありがとうって思いながら生きていけたら、私はそれが幸せなんだと思います。


『なんでもない事が、実は1番幸せ』
以前はこれが苦しくて悔しかったけれど、
今はほんとにそう思えます。


幸せは人それぞれだけれど、
実は1番怖いもの、理解できないもの、見たくないものだったりするんじゃないかなぁって感じました。



読んでいただいて、ありがとうございました(^^)

これが大事にするって事だといいな。

わかっている気にはなりたくないな。

でも『これ、なんとなくわかる』を疑いたくはないな。

どっちかわからなくなって、見失いたくはないな。

どっちをどっちって、評価もしたくないな。




『ないな。』ばっかりで良くないな。



充分わかっているといいな。

疑っても、自分を責めずにいられるといいな。

見失っても、また探せるといいな。

どっちでもいいって、思えるといいな。


それが全部、自分の中にある『確かなもの』に対して思えるといいな。

その確かなものが間違ってないといいな。

間違ってても、自分を好きでいたいな。

『確かなもの』も、大事にしたままでいたいな。


それが不確かだったとしても、

確かに私の中では『確かなもの』だったから。

それぐらいの自由を、私は私に許していたいな。

それが自分を大事にするって事だといいな。

あの人やあの人を大事にするって事だといいな。

ぐっちゃぐちゃの感情の自分の首根っこ掴んで。

ぐっちゃぐちゃの感情の自分の、

誰かを憎んでる自分の、

誰かのせいにしてる自分の、

いつまでも逃げてる自分の、

変われない自分の、

立ち上がらない自分の、

自分のせいにばかりしてる自分の、

首根っこがっつり捕まえて、
思いっきり睨んで、
バカでかい声で、
絶対に聞き逃さないように、
オマエに言ってんだってわかるように、
寸分の視線も反らさないで、


『それでも愛してるんだ』って言ってみて下さい。


バカみたいだけど、
芝居じみてるけど、


バカにしないで、
茶番で終わらせないで、


本気で、全力で言ってみて下さい。


何もかもが無くなって、誰もかれもがいなくなっても、
あなたの心臓を動かしてるのはあなただからです。


あなたを生きさせてるのはあなただからです。


自分を愛してる。


本気で言えたら頭おかしいのかもしれないけど、
『頭がおかしくて何が悪い』


そう思います(^^)

大丈夫。正しく迷えています。

『なんで先に進めないんだろう』


もどかしくて仕方ありませんでした。


『なんで変われないんだろう』


自分に苛立って発狂しそうでした。


私はゴールになんて辿り着いてなんかないけれど、迷いが晴れるたびに思い返し、そこで感じた事がありました。


『迷いが晴れないのは、現状が変わらないのは、そこが途中だったから』


途中なんです。


始まりでもなければ終わりでもない。


スタートとゴール以外は、全部途中じゃないですか。


リタイアしない限り。


迷っているのは、悩んでいるのは、棄権してない何よりの証拠です。


『証拠なんか欲しがるな』って言う人もいるけれど、証拠がほしいに決まってる。


誰だって。いつだって。どんな時だって。


あなたが抜け出せる絶対の保証なんか、誰かに出来るもんじゃない。


出来るとしたら、あなたがあなた自身に『絶対に抜け出す』って保証してあげることしか出来ない。


それでも赤の他人の私が私なりに、あなたに断言出来る事があるとしたら、

迷っている、悩んでいる、躓いている、うずくまっている、自分がわからなくなっている、

その全部は戦っている途中だということです。
向き合っているという事です。

たとえそれが逃げ出している時でも。


逃げ切れてないなんて、本当は自分が1番わかってるはずだから。


迷いが晴れて、初めて迷わなくなるんだと思います。
悩むのをやめて、初めて悩まなくなるんだと思います。
派手に転んで、初めて傷を確かめるんだと思います。
立ち上がって、初めて歩けるんだと思います。


1つのゴールは終わりじゃなくて、続きの始まりだと思います。


また迷って悩むんだと思います。


そうやって死ぬまで生きるんだと思います。


生きてく限り、それはみんな同じだと思います。


楽そうな、楽しそうな人達だっている。
軽やかで、羨ましくて仕方ない時だってある。


けれど当てつけの様に恨んだり憎んだり、
そんなのお門違いだって、頭のどっかで自覚してる。


だったら『こんだけ重いの持ってんだよ』って胸を張ってやればいい。


誰に見せつけなくたって、ちゃんとわかってる。


どれだけ恨んでも憎んでも、
生まれた場所も違いも変わらない。


変えられないから、ちゃんと迷ってちゃんと悩んで、変えられなくてもよくなるまで迷う。悩む。考える。感じる。


多分…ですけど、多分絶対に、
あなたが抜け出そうとする限り大丈夫。
正しく迷えています。


迷う事、悩む事をそんなに否定しなくていいと思います。


ちゃんと迷えて悩めてるんだから。


あなたも、私も。




読んでくださった皆様、ありがとうございました。

100%さんへの手紙。

こんにちは。


ちょっと個人的なお手紙を書かせてください。


かなり感覚的な話の内容になるので、苦手な方は読まれない方がいいと思います。


もう本当にずっとずっと、見守ってくれた人がいます。

生きてほしいって、私の命を自分の事のように望んでくれていた人がいます。

ずっと心配かけてしまっていた人がいます。

そして多分、誰よりも私を信じてくれていた人です。



やっと私が気がつけたけれど、すっごい信じてくれてる割に、すっごい心配していて、なんか少し笑ってしまいました。

でもとても嬉しかったです。


届かないものだと思っていたけれど、わかっていなかったのは私の方でした。


多分、わかっていない私の事もわかっていたんだと思います。


今日はその人に、お礼を言いたくて書かせてもらいました。


『わけわかんねぇ』って思う人もたくさんいると思いますが、ちょっと今日だけご容赦ください。




遅くなってごめんなさい。
たくさん心配かけてごめんね。

『ああ、こんなに見守られていたんだな』って、やっとわかりました。

わかっていたのに、気がつけなかった事、許してください。

私はずっと、小さい頃から、生きる事、諦めない事を考えてきました。

でもそれは自分1人の力じゃない気がしていました。

『大丈夫だ』って、『頑張れ』って、ずっと支えてくれてありがとう。

ずいぶん迷ったようにも思えるけれど、なんだかちゃんと約束どおりにこれた感覚です。


これからは何か返していければいいなって思ってます。
別にいらないって、充分だって言いそうな気もするし、待っているような気もします(笑)



やっと腑に落ちました。


あなたが居てくれて嬉しいです。


ちゃんとわかって嬉しいです。


間違いじゃなくて嬉しいです。


教えてくれて、本当にありがとう。


すっとぼけたみたいに気づかなくて、本当にごめんね。


もう大丈夫だよ。

ちゃんと生きてくよ。

心配しないでいいよ。


だけど私も変わらないから、また会いましょう。


どうかあなたの毎日が、とても優しくて柔らかくて、明るくて、和んだものでありますように。


でも、さみしさも苦しい気持ちも、切ないような、夕暮れの薄紫色の空のような気持ちも、大事にしていきたいと思います。


大事にしていってほしいと思います。


元気でやってます。

とても幸せです。

自分が大事です。

今がすごく輝いて感じます。

私はこれからも生きていきます。



本当にありがとう。


私もあなたが、とてもとても、とても大切です。

昔の私に会いに行く。

こんにちは。なるよです。


夏の前あたりから、見つけてやってみた事がありまして。
とても心が軽くなったので、書きたいと思います。


私はよく昔の事が浮かんだりしてました。

家事をやったり、用事をこなしたり、人と話したり何かに『夢中』になってるとき以外って、結構ずっと過去が頭の中で再生されていたりしました。


これだと、過去を生きている気がするなぁって感じまして、何か今の私に言いたい事、理解してほしい事があるんだろうなって思ったんです。なんとなくですけどね。
ずっと浮かんでくる。何とかしてあげたいなって思って。


ほんの想像の中の事ですけれど、側まで行ってみる事にしたんです。


仲間はずれにされて、屋上への階段で1人身を隠していた私。
いるのを知っていて『そこに誰かいるんですか〜』と休み時間が終わるまで出口を塞ぐたくさんの同級生。


膝を抱えて顔をうずめている自分の横に座ってみました。
『大丈夫?大丈夫じゃないよね。でもね、大丈夫だよ。辛いね。よく耐えてるな。あのね、今のこのあなたから、今のこの私まで繋がってるよ。あなたが頑張ってくれたおかけだよ。絶対に抜け出せるから大丈夫だよ。ありがとね。』
なんでもいいと思うんです。
かけてあげたい優しい言葉を、あの時誰かにかけてほしかった優しい言葉を、かけてあげればいいと思うんです。

抱きしめて。1人じゃないよって。


兄に何度もひっぱたかれている最中の私を守りに行きました。


出張ヘルスの様な、不倫相手と別れられない自分に声をかけにいきました。


家を出れない自分に、1人じゃないと伝えました。


ありがとうを伝えました。そこから今の私がいると。


彼女達の顔は見えませんでした。
でも何回も繰り返すうちに、記憶の映像はかわらないけれど、思い出す時に一緒に湧き出ていた感情の苦しさは伴わなくなりました。


映像だけになったって感じでしょうか。



ちょっと胡散臭く感じるかもしれませんが、自分で過去の自分を汲み取ってあげる事、励ましてあげる事、理解者になってあげる事って出来ると思います。


別に特別な瞑想とかじゃなくても。
私は洗濯干しながら想像でやってたりしました。


そんな感じでも、とても軽くなりましたね。心が。


前にも何かで書きましたが、精神世界って時間の概念がないそうです。
これって科学者も認めてる事らしいですよ。
時間の概念を入れると、どうしても成り立たないんですって。


難しい話は私はさっぱりわかりませんが、自分のこれまでが自分の中で、時間が関係なく存在しているなら、その昔とされている自分の心の傷をケアしてあげないと、ずっと残ったままになるっていうのは何となく感じました。


そして1つが解けてゆくと、連動しているものも結構解消されたりします。


全然何か起こった感覚にはならないんですが、
なんか少しだけ身軽になった気持ちになりました。


私は自分が自分のカウンセラーだと思ってやってきたんですが、
意外とちゃんと理解してくれてると思います。
自分って。


ちょっとスピリチュアルちっくな話になっちゃいましたね💦


読んでいただいて、ありがとうございました(^^)

『君の名は。』のあの歌のあの歌詞で。

つい先日、やっとこさ『君の名は。』のDVDをレンタルして観ました。


あらすじをほぼ知らずに観たので、新鮮な気持ちで楽しめました(^^)


映画はとても素敵でした。


知っていた記憶が次の瞬間に『あれ?なんだっけ…?? 確かにあったのに、何なのかが思い出せない!』って感覚が、あ〜!すごいわかる!と思いました。


だから私は無くなる前にポンポンとブログに書くようにしてたりします。

でも書き始めようとした時には『あれ…?あの感情、どんな感情だっけ……??あれ?一瞬前までしっかり文章が頭にあったのに…』ってなったりします。


君の名は。』で1番心に残ったのは、RADWIMPS前前前世の歌詞です。


ストーリーじゃなくて歌の歌詞かよ!って感じですよね。ごめんなさい。


確か劇中では流れてなかったけれど、
娘が学校行事で使用するらしく、たまたま続きの歌詞を知りました。


『君は僕から諦め方を奪い取ったの』


これ、すごく素敵ですね。
このワンフレーズに、とても胸を打たれました。


諦め方が自分の中から一切なくなるほどの存在って、すごいですよね。


全てが叶っちゃうって事ですもん。
その人がいるだけで。


もうどこであろうと存在していてくれるだけで、顔を上げて生きていける感じがします。


その『存在しているのか』が定かじゃないから、探したくて仕方なくなるんじゃないかなぁ。


自分に置き換えてしまってるだけかもしれないてすけどね。


『いてもいなくても、あってもなくても私は私なんだ。私には私がいる。幸せを感じられる。』


ここ二か月くらいの間でこの感情に辿り着いてから、あまり何かを探さなくなりました。
心の大暴走がほとんどなくなりました。


見つかるのか見つからないのか、生きていってみないとわからないから、不安を次の一瞬に持ち込まないで、その時その時を考えようって思うようになりました。


焦りがなくなった感じですね。



でも同時にスッカラカンのポカーンって感じにもなってしまって。
『何すればいいかな…?ああ、別に何もしなくてもいいんだ。ただ自分の好きな事やろう』ってなって、
漫画一気に読んだり、思いっきり掃除したり、子供と遊ぶ事に全力尽くしたりしています。



それでも時折、泣きたくなるくらいどこか行ってしまいたくなる衝動がまだありますね。

その衝撃に振り回されなくなりましたが。


『物事は全て決まっている』って考え方が、以前は『全部決まっちゃってたら、たまんねーよ!!チクショー!!!』みたいな感じだったんですが、
今は『全部決まってるなら、信じて全力で行ってみよう!』って感覚になってます。


運命は変えられるのか。
運命を変えられる運命なのか。


大っきな矛盾に正しさを感じとれたら、迷いってなくなるのかなぁ。なんてちょっと知った風な感じで考えてしまったりしました(^^)


読んでいただいて、ありがとうございました。

いつかきそうな『不確かな未来』の為に、今を生きるのをやめる。

いつか『やってきそうな』不確かな未来の為に、今を生きるのをやめる。


何かを怖がってしまった時、気持ちを自分の中から出さない。引っ張られない。それにくっつけてしまわない。


思い出を考えず、未来を予想せず、今のこの瞬間の感情を自分で選ぶ。
選択する。


どうしてもこうならない日々の中で、どんな風に自分を保つかを決める。
その都度。その瞬間ごとに。


まだ気をつけていないと簡単に飲み込まれてしまう。

簡単に、自分自身のみじゃなくなってしまう。気持ちが。感情が。


けれどそれに気がつくのは、ずいぶん早くなった。
軌道修正が迅速になった。


あらかじめ予想している、いずれくる未来に行くためじゃなくて、
目の前の瞬間だけを繋げていって、いつの間にか『考えもしなかった未来』に来てしまっている為に、私は軌道修正する。


決まった線に戻るためじゃなくて、
自分自身の点でいるために。


その点を、感情で繋ぐ。


喜怒哀楽を選んで繋ぐ。


川の向こう岸に渡るのに、どの石で選んで行くか決めるみたいに。


『自分』というモノを動かしながら。


自分が何もかも全てをどうにかできるなんて、それこそ思い上がりだと思う。


ちっちゃな点の置き場しか決められなくて、
その点の明るさしかきめられないと思う。


だけどそれで全てが決まる。


不思議だけど、矛盾してるけど、いつも上手く伝えきれないけれど、そうやって出来てると思います。モノゴトは。 


個人的に思ってることですが。


読んでいただいて、ありがとうございました。

『強くていいね』って言わないで。

ブログを結構更新していて、すみません!

多分、今ほど更新しなくなる時が来るような感じ(完全になんとなくだけの予感)がするのですが、
今はブログに書いて出してしまいたい事が次々出てきて、
人間いつどうなるかわからないから、後悔の無い様に出せる時に出しておこうと思って書いてます。

お許しください。


きっと私のブログを読んでくれる人は、これを言いたい人が多いんじゃないかな…と勝手に思っています。

私も以前は長い間、ずっと思っていました。


強くていいねって言わないで。

しっかりしてるねって言わないで。

別に強くもなければしっかりもしていない。

ただ、やらなきゃいけなかったからやってきただけ。

他に選択肢がなかっただけ。

強いから辛くても大丈夫なんじゃなくて、

量が多ければ多いだけ、フツーに辛いから。

もうだめって言えていいね。

丸投げ出来ていいね。

甘えるの上手くていいね。

寄り掛かれていいね。

ごめんね、ありがとうで終われていいね。

強くていいねって、無神経に言えていいね。


そんな風に、こっちにだって言いたい事があるよ。

それを言わないのは、強さじゃなくて気遣いだよ。

こっちを羨ましがるように、こっちも羨ましいよ。

みんな一緒だよ。

みんなそんなに変わらないよ。

多分楽そうに見えても意外と辛かったり、辛そうに見えても案外平気だったり。

どう受け取るかだよ。

それは私が決めるよ。

あなたもあなたの事はあなたが決めなよ。

私はあなたを攻撃しないから、あなたも私を攻撃しないでよ。

あなたがわからない私がいる。

自分にしかわからない自分がいる。

だから勝手に『強くていいね』なんて傷つけにこないで。

まだそれを言われて傷つかないほど強くないから。



今はもう、熱量を伴ってこれを言える私ではないけれど、
きっと言いたかった私が残っていて、
数日前にフッと浮かんできてずっと残ってるので書きます。


強くていいねって言ってる人も、ほんとはあなたがそこまで強くはない事を、頭のどこかではわかっていると思います。
その人自身もそこまで弱くない事を、充分図太い(笑)事を、認めないけどわかっていると思います。無意識にかもしれないけれど。


私はまだまだ強くてしなやかな人間ではないけれど、そんな風に思えるくらいには自分の内面が穏やかにはなりました。


それでも色々出てきますけれどね。


不平不満になっちゃいそうだから普段口には出さないけれど、
羨ましいって思うこと、たくさんありますよね。
あの人みたいだったらって考えちゃう時もあると思います。


それでも毎日『自分の事』をやってる事を、結構頑張ってると思います。

あなたも、便乗して私も(^^)

ちょっと、肩の力が抜けてくれたら嬉しいです。


読んでいただいて、ありがとうございました。